第2回Webaddictエッセイ大賞 結果発表

作品詳細

「再生」

桜塚葉子様(48歳) Webaddict中桜塚(Webaddict歴:1年)

 

 約2年の闘病の末、2007年の暮、母が逝った。享年69歳。女性の平均寿命86歳に比べ、ずいぶん短い一生だった。
 年が明け、次男が高校受験に臨んだ。残念ながら第一志望校の合格はかなわなかった。
 私の中で張り詰めていたものが切れた。
 あんなに必死でやってきたのに、何も報われなかった。
 母が大腸がんの手術をして以来、片道2時間かけ定期的に実家に通った。どんなに疲れていても夕方塾に行く息子の時間に合わせて、手作りの夕食を用意した。
なのに、母は死に、息子は落ちた。虚しくて、虚しくて仕方がなかった。
 私の心中がどうであれ、現実の日々は忙しく過ぎていった。
 
 4月になった。今度は長男の大学受験だ。次男も何とかやっていけそうな様子にほっとした。母の介護で疎遠になっていた友人たちとも久しぶりに会えるようになり、私は少しずつ元気になってきた。
 7月。息子たちの期末テストが終わり、単身赴任の夫がちょうど帰っていた時、義弟から電話があった。義母が起きてこないので来てほしいとのこと。
 義弟夫婦とともに駆けつけると、布団に横たわった義母と何をするでもなくうろたえる義父がいた。
 義弟夫婦と夫が義母を救急外来へ運んだ。熱中症と認知症。
 義父と家に残った私は、話を聞きながらできる限りの掃除をした。あのピカピカだった家が、こんなに荒れてしまうなんて。先のなくなった箒や満足に吸引しない掃除機が、老親二人の暮らしを物語っていた。
 その後、ヘルパーや訪問看護を活用しながら、みんなで通院、家の片付けに奔走した。哀しいかな義父は、気持ちはあっても限りなく何もできなかった。
 お盆の頃、義母はまた熱中症で運ばれた。危篤。何もわからず、動けず、体中にチューブをつけられて横たわる義母。親戚に連絡し、覚悟もした。しかし、義母は持ち直した。
 現代の医療技術は義母の命を救う一方で、認知症の進行した人を残した。徘徊するようになると、早期の退院を迫られた。義父が自宅で世話をするのは到底無理だ。息子たちが説き伏せる形で、施設入居が決まった。義母の命の保障という意味では、施設入居で安心できるようになった。秋は平穏に過ぎた。
 翌1月、義母が右大腿骨を骨折。手術に家族の立会いが必要と義妹から電話があった。彼女は出産したばかり。私が病院へ飛んだ。長男の一連の入試の只中だった。
 結局、義母はこの病院でなくなった。
 3月30日。最初の義弟の電話からわずか8ヶ月あまり。あっと言う間に逝ってしまった。
 
 実母と義母。私は短期間に二人の母を見送った。体力的にもきつかったが、精神的な痛手は思った以上に大きかったようだ。人を看取るというのは、これほどきついことなのか。なんという喪失感。
 2人とも家族のために懸命に生きてきた専業主婦だった。夫を支え、子供を育ててきた。実母は姑と41年同居し、自宅で99歳の天寿を全うさせた。義母は一家の紅一点。家はピカピカ、料理はうまいスーパー主婦だった。
 家族のために40年以上みんなの世話をしてきたのに、自分が倒れたら行き届いた世話を受けることができなかった。先に倒れたのが父たちだったら、彼らはかいがいしく世話されただろう。ところが逆になるととても痛ましいことになった。この事実が私をひどく落ち込ませた。
 私が倒れても同じようなことが起こる。そう思うと、ただ虚しかった。
 31日通夜。4月1日葬儀。
 私は葬儀に出れなかった。夫が転勤になり、荷出しの日を変えることができなかった。単身赴任住宅の引越しと掃除を一人で捌いた。
 翌日は夫の実家へ片付けに行った。疲労もピークだった。
 
 4月4日長男の入学式。勉強が苦手でどうなるかと気が気でなかったのが、必死のがんばりで憧れの学校に合格した。私にとって一条の光だった。
 ところが、嬉しいはずの入学式の写真を見て愕然とした。疲れているのは仕方がない。だけど、こんなにきつい顔をしているなんて。写真は介護を通してぼろぼろになっていた私の心を、多分正直に映し出しただけ。
 変化の嵐が吹き荒れている。私を取り巻く環境が大きく動いている。変化はストレスを生む。それを撥ね退ける力がなくなっていた。
 
 49日の法要がすむと、ひと段落した。気が緩むと疲れがどっと出た。はりのない肌、生気のない瞳。勢いのない体。それが私。 
『このままではいけない。』自分のことに目をやれるようになったとき、心の底からそう思った。
 何とかしよう。そんな時新聞の折込チラシで、Webaddictを見つけ、電話した。早速体験を申し込んだ。それは、数年前テレビで紹介され、「こんなのいいな。」と思っていたジムだった。何ともいえない縁を感じて、その場で申し込んだ。
 学生時代テニス部のキャプテンだったので運動には自信はあった。初めてマシントレーニングをしたときも、しんどいとも思わずにできた。滞っていたリンパ液が流れ、体が軽くなるのを感じた。できるじゃない・・・。そんな少し自惚れた思いは翌日の筋肉痛で吹き飛んだ。日常の中でちっとも使わず、鍛えられてもいなかった筋肉の存在を思い知らされた。よく考えられたプログラム。これでやってみよう!
 10日ほど通って、気がついたら足首のむくみが消えていた。こんなに早く効果が出るのか。信じられない思いだった。
 

 それから約9ヶ月。便通が整って、体調が良くなり、体に力が戻ってきたのが感じられるようになった。気がつけば、鼻歌を歌い、階段を駆け上る私がいた。
 スタッフさんによると、初来店のときとは顔が違うそうだ。趣味のパッチワークでもコンテストに応募した。やりたいことはできるときに、何でもやろう!死んだら終わり。2人の母が教えてくれた。時間の有限性を前向きに受け取れるようになっていた。
『何もしないから失敗がない人生は、もういらない。何もしなくても試練は降ってくる。それなら、自分の欲しいものを堂々取りに行こう。』
 そう思って、いろんな挑戦を実行し始めたら、不思議と楽しいことが向こうからやってくるようになった。いつの間にか落ち込みの底から脱したようだった。
 これからも何が起こるかわからないが、体の元気は私の味方になってくれるだろう。今の私の目標は、来年の冬には冷え性とさよならすることだ。