カーブスエッセイ大賞2016結果発表

作品詳細

佳作

「私がカーブスを続ける理由」

せい子様(65歳) カーブス熊本菊池(カーブス歴:5年2カ月)


昨年十一月「おめでとうございます。ゴールドカードです」とコーチの方から渡された。「えーもうそんなになるの」とビックリ。「よく頑張りましたね、腕が痛くても通ってもらえてすごい、感心します。」その言葉に本当に嬉しく思いました。
それにしても私にとっての五年の歳月は暗くて長いトンネルをさ迷う様なものでした。振り返ればカーブス入会の一年半前、平成二十一年当時会社勤務で定年退職を目指し(先輩方を見送ってた)交替番で頑張っていました。所が不景気の波が一気に押し寄せ、パートに始まり準社員、派遣社員、そしてリストラ。五十八歳の誕生月(三月)の事です。三女が二歳の時から二十五年の勤めに終止府を打ったのです。しかしそれは容易に受け入れ難く、就寝中目が覚め、今何時?えー遅刻?ガバッ!と起きる。心臓はドキドキと鼓動を打ち出すのです。こんな現象に一年以上悩まされたのです。これではいけない、今まで以上に、掃除、料理、庭の手入れ等々張り切りました。しかし何と云っても自由、縛り付けるものがないと気が緩み、いつしか体はふくよかに成っていった様です。独身からキープしていた体重も右肩上り。極めつけは友人の「肥えたんじゃない」の一言。ガーンときました。何とかしなくては・・・・。
その頃カーブスの広告は何度か見ていました。が引っ込み地案の人見知り、中々一歩が出ません。それに気に成る事もあったのです。在職中、半導体検査、顕微鏡検査等で座る事が多く、ギックリ腰をくり返へして、肩こりもひどく大丈夫かな?の思いもあったのです。娘達に話をすると、くよくよ考えず聞いて見たらの返事。そうね、行動しなくては、と電話をしたのです。一度おいで下さい、の声に誘われカーブスに行ったのです。ドアを開けると明るく女性の方ばかり、笑顔でコーチの方が迎えて下さいました。優しく対応して説明して下さり、不安も消え入会を決めたのです。平成二十二年十一月の事です。早くマシンに慣れたい思いで通っていました。続くか不安で夫には話していませんでした。
そして翌年の二月末、我が家をアクシデントが襲ったのです。腰のヘルニア手術を受けた夫が、障害を背負う結果と成ったのです。目の前が真っ暗、医療過誤、手術しなければよかった、お互いに何度思った事でしょう。それに手術前の日私は左足人差指を骨折していたのです。幸いビッコ引くものの運動は出来るので、夫の病院へ通うのを日課としました。カーブスは足が不自由な為休止しました。排尿困難、腰、両下肢のしびれ、でも痛みは常々襲い内向的な性格、耐えられるだろうか。バカな事はしないか。早く誰か側に居ないと心配、との思いでハンドルを握っていました。方向音痴の私には往復二時間余りの運転は厳しいものがあったのです。
入院から三ヶ月後カーブスに復帰したのです。心温く迎え入れてもらい、私が健康でいないといけない、介護状態に(夫)なったら困る、の思いで通いました。コーチの方からは、「帰りの笑顔ステキです。」 と云われ、よっぽど暗い顔をしてマシンに乗っていたのでしょう。
それから更に三ヶ月、カーブス一番早い時間帯で運動し、それから熊本市内の病院へ、と通い続けたのです。夫は六ヶ月の入院生活後退院したのですが、生活は未知の世界、尿は導尿と云う形で器具を使用、オムツ着用、下肢のしびれ、痛み、靴が脱げても分らず、我慢強い夫にも限界があり、痛みを訴える様に成ったのです。そんな姿を見ていると、やはり、カーブスに運動しに行っているとは云い出せませんでした。近い事も有り、買物のついでに出来るのも利点でした。
そして三年半過ぎた頃でしょうか、孫の子守り等の後遺症なのか、左腕の痛みに悩まされる様に成りました。病院でも異状なし、カーブスには出来るマシンだけ使用し通いました。水も飲める様に成りました(三十分で500cc)。最初は苦手で、お腹が調子悪く成っていました。体型の割には体脂肪が高く、マイナスを目指し通い続けました。
それから更なる悲劇が家族を襲ったのです。昨年の春三月、次女の夫が交通事故に遭遇、亡くなったのです。横断歩道途中で、前方不注意の車に跳ね飛ばされたのです。三十五歳、娘と一歳の孫を残して。気が動転して、何故?何故?我が家なの、と自問自答。あんな真面目で働き者、誰からも好かれる好青年。娘にはもったいない、とさえ思う程でした。何か悪い事でもしたと云うのでしょうか。言葉を発すれば涙となり、部屋を見渡たせば慶びの写真が飾られ、笑みの顔が見つめます。結婚三年目を三月に迎える予定だったのです。命日の月に成るとは誰にも想像出きませんでした。今思うとどうして過ごしたが、記憶があまりありません。何をする気力も無く、テレビも見られず、眠る為にお酒に頼っていました。慣性的な毎日だったと思います。そしてこんなんではカーブスには通えない、止めるしかない、そう思ってカーブスに行きました。コーチは(娘達と同年齢)話を聞いてくれて、「よく打ち明けてくれましたね、そして良く来てくれました。大変でしたね。」と慰労の言葉さえくれたのです。「でも無理しなくて良いんです、ボチボチで良いから来るだけでも気分が晴れると思います。」のアドバイスも。そして、更に、悲しいのは貴女だけじゃない!娘さんはどれだけ悲しいか、大変か、親の貴女がしっかりしなくてどうするんですか!とも。その言葉にハッ!としました。目から鱗です。本当です、不幸の主人公にでも成ったつもりだったんでしょうか、頭では分っているのに中々受け入れきれなかったのです。娘を慰めるのが親の務めというのに・・・。コーチは若いのにしっかりしてるなあ、指導教育かも知れないけど、持ち前の人格もあるでしょう。それから徐々にカーブスに通える様に成りました。相変わらず腕の痛みには悩まされてはいますが・・・。
出来るマシンだけ使っています。そして昨年の十一月、五年目を迎えたのでした。考えて見ると何がそんなに私を引きつけるのだろう。夫の突然のアクシデント。カーブスと病院の往復、小柄な体格のどこにバイタリティがあるのだろう。一人娘の私にとって実母の他界もショックでした。そして娘婿の不幸、立ち直ったとは云えずしても、カーブスに通い前向きな方向に行っています。運動する事がやはり脳には良いのでしょうね。知らない人や、行き帰りの会員の方に挨拶が出来る様に成りました。同じ目的に進む事は良い事ばかりに思えます。そして会員同志の良い意味での競争も刺激を与える様です。
会社を辞め何もして居なかったら、どう成っていたでしょう。今の私があったでしょうか。考えると恐い位です。将来寝たきりにならない為も必然ではありますが、通う事で元気をもらい、会員の方とお友達でいたいと思います。加齢と共に出合いも少なくなります。カーブスに行けばコーチの笑顔が待っている。何事も長続きしない私が五年続いたのだから、自分で自分を褒めたい(誰かのセリフ)と思います。今度は十年先を目指したいと思います。今、スタートの合図は成ったばかりです。頑張ります。ファイト!ファイト!

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